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岡山地方裁判所津山支部 昭和46年(わ)43号 判決

主文

被告人を罰金五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四五年一一月九日午後六時二〇分ごろ、普通貨物自動車を運転し、時速約六〇キロメートルで津山市河辺一、一五八番地先の道路(国道五三号線、四車線・片方二車線片方幅員六、六メートル)上を押入方面から川崎方面に向け西進中、進路から被告人の進路に進出しようとして上り坂を下向きの姿勢で登つてくる福島沢衛の運転する自転車を約四一メートル手前で認めた。ところで自動車運転者はかかる場合、福島沢衛が坂道を登り切つたまま被告人の進行する前方道路に進出するとき、自車と衝突する危険があつたのであるから、直ちに警音器を吹鳴して徐行しつつ、自転車の動静を注視し安全を確認して進行する措置を講じ、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、前記自転車において避譲して呉れるものと軽信して警音器を吹鳴せず、同一速度で進行したため自転車が避譲することなく自己の進路前方に進出しようとするのを約三〇メートルに接近して覚知し衝突の危険を感じて急制動をしたが及ばず、自車右前部を右自転車右側に衝突させて右福島を自転車ともに跳ね飛ばし、その結果同人に対し頭蓋骨々折等の傷害を負わせ、右傷害により同人を同月一六日午後一時一五分津山市川崎一、七五六番地の国立(津山)療養所において死亡せしめたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

法律にてらすと、判示業務上過失致死の行為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法二条、三条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、所定の金額の範囲内で被告人を罰金五万円に処し、右の罰金を完納することができないときは刑法一八条により金二〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとする。

なお、弁護人は本件被告人が約四一メートル手前で自転車に乗つて走行して来る被害者を発見してはいるけれども、交通頻繁な車道上にそのまま自転車が進出して来ることは予見することができず、かかる場合、自動車運転者は被害者が車道に出る前に一時停止等し安全を確認する等の適切な所為に出て呉れることを信頼し、そのまま走行を継続するのは当然であるから、本件交通事故においては交通事故におけるいわゆる信頼の原則の適用せられる場合であり被告人の過失を争うものであるかのような主張をなす。ところで、交通事故との関連において、信頼の原則を定義するならば、交通関与者の一方が他方の者の適切な行動をすることを信頼することが、その場合相当であるから、そのため、他人が交通秩序に違反するような不適切な行動に出ることを念頭において、行為をする必要はないとする原則であるということができる。したがつて、右のような意味における信頼は、法的評価(すなわち信頼の相当性という評価)を受けているものであるから、例え自動車運転者において、被害者の交通秩序を守るという適切な行動を信頼したところ、被害者が不適切な行動に出た結果、交通事故が発生した場合、その当時におけるところの道路状況、交通量、被害者に対する認識の態様、程度、その他から、その信頼そのものが相当でなかつたとするならば、その自動車運転者は、過失の責任を免れ得ないものであり、前示各証拠から審究するとき、被告人は、本件事故現場附近を日ごろ往来し、附近の道路状況、その他の諸状況を十分熟知していたものと推認でき、事故現場附近の道路関係は、別紙のような状況にあり、被告人は時速約六〇キロメートルの速度で押入方面から川崎方面に向け0.717%ないし0.55%の下り勾配の舗装の国道五三号線道路を走行中、国分寺方面から河辺方面へ向けて5.5%の上り勾配の非舗装道路を河辺方面に向け前屈みの姿勢で自転車を運転して登つて来る被害者を約四一メートル手前で確認していることから、被害者が登り坂を登り切つた後、本件国道上に進出する以前において、一旦停止するとなれば、被害者は運転中の自転車から降りなければならず、そのため降車後に再び自転車に乗り、以後河辺、または津山方面に向けて進行するならば、それぞれに下り勾配となる。したがつて、自転車乗りとしては国道まで自転車を押して登つて来たのならいざ知らず、喘ぎながら上り勾配を登つている以上その儘、乗車を継続のうえ、河辺、または津山方面へ向け下り勾配の道路を走行するものと予見し、または予見し得たと認定することが被告人に過酷な注意義務を課するものということはできなく、前記のような状況で自転車乗りの被害者を発見した瞬間に自動車運転者としては、当然に、前方の自転車が自己の進路前方の道路上に進出することの予見にしたがい、このとき直ちに自車を制動するなり警音器を吹鳴するなりして、事故防止のための措置を講じていたとすれば、本件交差点の東、西、南、北の各道路の状況、被害者の自転車の進行速度、位置などに照らして、本件の如き衝突事故の発生を未然に防止しうべきものであつたことは極めて明かであることが認められる。車両の運転者に対しては、運転免許の取得が義務づけられ、その際に交通秩序に関しての法令試験の合格が要求せられ、また、これらの者は身をもつて交通秩序に習熟する機会にもめぐまれているけれども、被害者のように自転車乗りは交通秩序に習熟する度合が車両運転者に比しはるかに少なく、自転車乗りの保護が不十分な現状においては、たとえ共用道路であり、かつ、自動車の交通が頻繁で自動車の専用に近い性質をもつ道路上における事故であつても、前記のような自転車に乗り前屈で登つて来る被害者を認識し、または認識し得た場合に、警音器を吹鳴するとか、かつ、また減速徐行をするとかいう被害者に対するなにがしかの配慮をなす特定の行動に出でていないことが認められる本件被告人においては、も早被告人の前示過失を否定することはできなく、したがつて、前記認定のいずれの点からみても弁護人主張の信頼の原則の適用の主張は、その相当性を欠くものとして認めることができない。

(ところで自動車運転者たるものは稀少な事態をも予想しての注意に万全を尽すことを求めたとしても、あながち、自動車運転者に過酷な義務を課したものといい難く、本件被害者には被告人車両の動静に対する注視を怠つたことなど、非常に高度な過失を犯したものであることが認められるが、このような被害者の相当無謀と思われる過失(行動)が否定できない場合であつても、自動車運転者の注意義務を過小に評価し、被告人の前示過失を否定すべき根拠となしえないことは極めて明らかといわなければならず、被害者の過失を過大に評価するようなことでもつて人命尊重の見地から好ましからざる結果を招来するようなおそれがあつてはならないが、本当に不可抗力、ないし無過失な事故に対してまで刑事責任を負わせることは人権上できないことは当然のことである。日夜発生している交通事故の防止は、行政のもつぱらの責務であるが、裁判所においても、人命の尊重、事故防止の見地から、千差万別な原因、態様に基づく具体的な交通事故に対し妥当な法の解釈、適用をなし、自動車運転者の注意義務などを宣明することもその使命であると思うものである。)

よつて主文のとおり判決する。

(重村和男)

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